フジテレビ火曜9時ドラマ『アタシんちの男子』を楽しみましょう!!
ドラマは感動のうちに幕を閉じましたが、まだまだ『アタ男』熱は冷めません。
終了したドラマなのでネタバレ含みます。ご承知おきください
『アタシんちの男子』をこれから見る方、ストーリー、次回予告、登場人物をお探しの方は、
「はじめに」「まとめ」のカテゴリーからどうぞ
『続きシリーズ』『その後シリーズ』など、お話を読まれる方は、
「目次」のカテゴリーからどうぞ

荒唐無稽ってことについて考えてみました(笑)

keiさんのブログで、『ロング・ラブレター〜漂流教室〜』の記事が上がりました

記事をを読み、コメント一往復して、「荒唐無稽は悪いことじゃない」って思いを強くしました
そしたら、以前、『ふたつのスピカ』放送中に、『アタシんちの男子』との共通点をちょっとだけ書いたことを思い出しました

自分の記事引用してすみませんm(_ _;)m

ドラマの状況設定で、フィクションやファンタジーを強めにし、日常から乖離させいていくと、一見して、子供向け(子供だまし)に見られがちで、リアルな設定のドラマより一段落ちると捉えられることも多いと思います。
だけど、この設定のおかげで、日常では恥ずかしくて言えない当たり前のことや、大人には青臭くて聞いていられないようなこと――――でも本当はとても大切なこと、大事にしなければいけない気持ちを、抵抗なく受け入れることができるんです
日々、改めて考え直すことなく過ぎていってしまうものに、思いがけず出会って、百戦錬磨の大人もうっかり落涙する、そんな魅力を持っているから、いつまでも「F(ファンタジー&フィクション)」と言うジャンルは消えないんだと思います
そして、日常から乖離した設定で油断して無防備になったむき出しの心に、まるでタイムスリップしたように自分の中に降って湧いた甘酸っぱい思いにドキドキするから、「青春群像劇」はやめられないんだと思います


『アタ男』の魅力って、うまく説明できないけど、「荒唐無稽*1」とは切り離せないものなんだよなあって再確認しました
同じテーマでも、リアルな設定なドラマだったとしたら、同じように好きになれたかどうか、そもそもドラマにはまったかどうか…
ま、好みの問題っていってしまえばそれまでですがね(笑)
笑って、ハラハラドキドキして、いつの間にかあたたかい気持ちになれる
そんな『アタ男』ならではの魅力は、やっぱり、普通じゃない大蔵家でないと表現できなかったんだよなと思います


で、ちょっとぐるぐる考えたので、書きとばしますが、いつものごとく、根拠なし(笑)
一般論でなく、私の場合ということで、強引な話の展開についてはご容赦ください


長いので、お暇な方はどうぞ


■わたしがドラマで見たいものってなんだろう



自分の好きなドラマの条件ってなんだろうと考えて見ました


ドラマに限らず*2、大好きな作品の条件として、筆頭に上げたいのは、

見終わった後に明るい気持ちになれるエンディング

これは外せませんね
たとえ、地を這うような物語でも、ラストで感情の矢印が少しでも上を向いて終わるようなラストシーンで物語が締め括られる、そんな作品がすきなんです
ま、これは、スポンサーがついているテレビドラマなら、ほとんどクリアでしょうけど(笑)


次に、作品の内容ですが、いわゆる「『きれいごと』に聞こえてしまうような話」が好きなんです
辞書的に意味どおりに捉えると、「きれいごと」って、「実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄」ってことになりますが、

現実では、なかなか言葉どおりにかなえることは困難だけど、信じていたいと思えるような話

と捉えています
そういう青臭い話が好きみたいですね(笑)


たとえば、

  • みんなと仲良く暮したいとか
  • がんばればきっといいことがあるとか
  • 生まれてきてよかったとか
  • 家族がいてよかったなとか
  • よい友達は財産だとか
  • 人を好きになってよかったとか
  • 失敗したけど、この経験は必ず糧になるとか
  • 悩みはいつか晴れるとか
  • 終わらない闇はないとか
  • 愛の力を信じてるとか

数え上げればもっともっと出て来ますが、どれもベタなものばかり(笑)

それは、夢であったり、理想であったり、日々の暮らしの中では、なかなか実感できないないことだったりします
だけど、大事なものだってことは、本当は誰もがわかってるし、気づきさえすれば、いつも自分の傍らにあるものなんですよね
そのことを、一瞬でも感じることができれば、とても幸せ
でも、すぐにその幸せを忘れたり、掴んだつもりでいたのに、すぐになくしてしまったり

わたしの中の「きれいごと」って、そんなイメージです


「きれいごと」って、「世間知らず」みたいな意味で使われるけど、

「本当にきれいで大事なもの だけど得がたいもの」

って解釈もありだと思うんです
だから、簡単に口にするのは、はばかられるし、言葉を振り回せばバカにされるんですよね


「きれいごと」って、言い換えれば、作品の持つメッセージのことなんですよね
だから、本当は、リアリティのあるドラマにも、荒唐無稽なドラマにも共通して存在するものなんです
違うのはその表現方法
日常(に近い状況)で描くか、非日常で描くかの違いです
そもそもドラマ自体が作り物なんですから、要はパッケージの問題なんですね
現実に近い状況から、ドラマのメッセージをあぶりだすのか
荒唐無稽な設定を敷いて、ドラマのメッセージを際立たせるのか


虚構が強い物語は、リアリティという手綱を緩めていますから、自ずと作品にこめられるメッセージも普遍的、抽象的なものになります
つまり、多くの人に適応可能な形態になるんですね
物語から得た登場人物の感情が、自分の中にもある感情を捉えて心を揺さぶるんです
ただ、その抽象の度合いや設定が、好みならドラマの波に乗れるし、肌に合わなければパッケージだけで拒否反応を示してしまう


現実に近い状況設定のドラマは、状況設定に共感を得やすい反面、リアルであるがゆえに、感情移入が集中しない可能性を持っているんです
私が実際に生きている世界に近いほど、引っかかる場所が多いために、感情のガードがなかなか外れなかったり、よけいなところに感情移入してしまったりしてしまいがちです
周到にかからないと、見ている人がメッセージまでたどりつけない場合が出てきます
乱暴な言い方をすれば、作り手が意図しないものがフラグとして機能してしまうかもしれないんです


物語の導入部で設定について行けさえすれば、作品の持つメッセージが、ストレートにわかりやすく伝わってくるのは、実は現実ばなれした設定のドラマだったりするんですよね

サスペンス、SF、ファンタジー、パニック、冒険活劇、時代劇…

  • たとえば、寄せ集めの人間が一つ屋根の下で暮しながら、家族になっていったり、
  • たとえば、親の因果が子に報い、過酷な運命と夢との板ばさみにあったり
  • たとえば、今日と地続きのはずの明日が、急になくなってしまったり、

無理難題、究極の選択、極限状態
こうした状況に追い込まれることで、感情のMAX地が見せやすくなるという利点も、持ち合わせているんです
特別ではないものを、特別な状況下で浮き上がらせて見ると、大事なことがストレートに伝わりやすくなり、見ている側も素直に受け止めることができるんです


じゃあ、何で素直に受け止めることができるのか
それは、実は荒唐無稽な話だからと、なめてかかっているからです(笑)
設定がとっぴってことに目を奪われて、感情のガードが下がっていることに気づかないんですね
虚構の世界と自分の接点があるって、普通は、考えませんから
でも、虚構の世界には、ドラマの中とはいえ、私たちと同じ、感情を持った人間がいます
状況設定や背景が違うだけで、私たちと同じように悩んだり、苦しんだり、喜んだり
荒唐無稽な物語を、「どう展開するんだろう」と追っているつもりの私も、いつしか物語の主人公他と共通した感情を抱くようになっているんです
千里が「母親10か条」クリアしようと奮闘し、兄弟の反発にあいながらも、だんだんお互いを理解していくドラマの流れに乗るうちに、私も、千里と一緒に、兄弟を好きになっていき、大蔵家がたどり着いた結末に胸を打たれたみたいに

大事なメッセージが、きちんと伝わってくるドラマは、楽しく、そして愛しい


虚構が強くとも、レンジが広く、多くの人に受け入れられれば名作といわれるドラマになるし*3、残念ながら多くの人の目に触れる機会がなかったドラマでも、誠実に作られていれば、見た人の記憶にちゃんと残るドラマになっていると思います


作品のメッセージがちゃんとうけとめられたら、そのドラマは、視聴者にとって「大好きなドラマ」になると思います


私がドラマで見たいものを考えてみてわかったことは、

こんなドラマが見たい=大好きになれるドラマに出会いたい

って事みたいです
大好きなドラマがまた増えるといいなあとどこかで願いながら、新しく始まるドラマを見始めるんだなあと思いました



余談ですが
「荒唐無稽なドラマ」に似たものはなんだろうと考えた時、理想形は、「長く読み継がれている児童書」なんじゃないかなと思いました
子供の頃は夢中になって読んだ本なのに、思春期になると「荒唐無稽」「子供だまし」と本棚の隅っこに追いやられてしまう
でも、あるとき何気なく手にとって見たら、その物語に心躍らせた頃が懐かしく、成長した大人の視線で読む物語は、また新鮮なものに感じられ、夢中になって読み進むうちに、ラストシーンで我知らず、涙がにじんでしまったり、幸せな吐息をついて本を閉じるような、そんな感覚*4 ま、私は、子供の頃から、比較的、同じ本を何度もリピする人間なので、一般論じゃないかもしれませんけど…(笑)


でも、ほんと、子供だましと笑うなかれ
荒唐無稽は、ドラマの手法のひとつです。
決してバカにしたもんではないですよ


この飛び道具は、使い方は難しいかもしれないけれど、うまく機能すれば効果絶大なんですから


その証拠に、わたしたちは『アタシんちの男子』に出会えたんですからね


…なんて、締めをして見たりして(´〜`ヾ)





アタシんちの男子』って、大好きなドラマに出会えたって言うことのが一番の宝物ですが
副産物として、恐ろしくものを考えることができるドラマだって言う側面も見逃せないですよね
私、普段、こんなキャラじゃないですもん(笑)


それから、毎回懐かしいドラマの記事を上げてくれるkeiさんのおかげで、自分のドラマの好みが、ぼんやり見えてきたような気がします
普段、ドラマって、見飛ばしてしまって、どんどん忘れて言ってしまうようですが、あらためて思い出す機会を作ってもらえて、感謝しています


やっぱり、外からの刺激って大事だなあと思いました
shihoyさんがお話書いたら、「うわあ。私も何とかしなくちゃ」って思うし
オークラのコメント読めば、まだまだ『アタシんちの男子』の続編、待ってみようかなって、ブログ更新する元気が出るし


一番大きな外部刺激『アタ男』続編&SPなんかきたひにゃ、意味もなく一日何度も更新しちゃうんだろうな


そんな日が、早くくるといいのに
。.:*・゜从n^▽^从η゚・*:.。.

*1:根拠がなく、現実性のない・こと(さま)。でたらめ。

*2:映画もマンガも小説も、演劇も、エンターテイメント全般についての好みなんですが、

*3:最近だと「JIN -仁-」がいい例ですよね

*4:その感覚は、親しい誰かの笑顔を写真にすると特別に感じられるのにも、似てるんじゃなかなあと思います。子供の写真だったり、仲間の写真だったり、その一瞬を切り取ることで、「大きくなったなあ」「いい出会いだったなあ」と、普段忘れがちな特別な思いを認識できたりします