フジテレビ火曜9時ドラマ『アタシんちの男子』を楽しみましょう!!
ドラマは感動のうちに幕を閉じましたが、まだまだ『アタ男』熱は冷めません。
終了したドラマなのでネタバレ含みます。ご承知おきください
『アタシんちの男子』をこれから見る方、ストーリー、次回予告、登場人物をお探しの方は、
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目に見えるもの

例えば
第7話で、夜のトリックハート城の庭のベンチで、千里と翔が話していたシーン。
話す千里と、耳を傾ける翔の表情が印象的。
会話をしているわけではないんだけど、千里の言葉に相槌を打つように翔の表情が映し出されると、二人の間の距離が縮まっていくようで、見ているわたしがどきどきしてしまった。
私が受けた感情が、正解かどうかはともかく、このシーンは、千里の感情と翔の感情の動きを私たちに伝えようとしている「作り手の意図」で構成されているシーンだということ。
私が翔の表情を選んで見ているのではなく、作り手が翔の表情を差し込んでいる
ってことは
作り手は、翔の表情を見せたがっているってことだ。私たちに何かを伝えるスイッチとして。
いやな意味で言っているわけじゃないよ。わたしたちが見ている画面の、構図も明るさも、効果音も、カット割りも目に見えるものぜーんぶ『アタシんちの男子』のハッピーエンドにめけて必要な1ピースだというすごく当たり前なことに気がついたとでも言おうか。
わかりやすいところではシナリオ。
ボウリング⇒カーネーション⇒母の日とか、
井上の失踪⇒ガサツな国土の投入⇒申込書の投函ミス⇒家族の団結⇒ちゅー(笑)とか、
明は9時に寝る⇒9時に寝る⇒9時に寝る⇒9時に寝る⇒ちゅー(笑)とか、
振り落ちくっきり。
振ったものには必ず落ちがあるように、映し出されたものには必ず意図があるんですね。
やさしい時田の時折見せる怪しい顔は、風に宣戦布告されたことで表層に出てきたし。
恐怖時計の部屋の大音響がなければ、、時計のリズムが狂っていることもわからなかったし、遺産のかぎも見つからなかった。
無駄なものなんか一個もないんだものな。
すごく普通のことなんだけどさ。
重厚なドラマも、トリックが張り巡らされたサスペンスも、口当たりの良いコメディも、
大の大人が大勢で時間と手間とお金をかけて、私たちのところに届けてくれているんだと感動してしまった。
だから、『アタシんちの男子』をずっと見ていて、ここだけじゃなく、無言の翔の表情がすごく気になってしまうのも、意図なんだということだから、どこかで解けてくれるんだろうと思う。

毎週『アタシんちの男子』を見終わると、「感情的に翻弄されてま〜す!!」と騒いでいるけど、考えるまもなく流されているのなら、多分それは正解だと思います。
作り手の方が高見て欲しいという方向に運ばれていっているのだと思います。
その証拠に、今ではすっかり大蔵家贔屓千里贔屓ですからね

*1

*1:映像のことを最初に考えたのは、演劇を見たのがきっかけだったと思う。たぶん、舞台にはまった高校生くらい。舞台に出ている人を好きになったから。主人公でなくても、好きな俳優が舞台上にいる限り、ずーっと見ていられるという幸せ。演出者の意図とは関係無しに、自分の目線で捉え同時進行で再編集される「大好きな人の芝居」。例えば「テニミュ」を観にいって、菊丸英二瀬戸康史を目で追っている状態だね。この贅沢は、それまで知っていた映像作品にはなかった。結構高いチケットを買っても好きな人を中心に見てしまう。コレって幸せなこと。すごく贅沢。反面もったいないことだと思う。ちゃんと見たら、すごく面白い話を見落としてるかも知れないんだもん。まあ、戯曲、演出、俳優、効果が練りに練って観客の前に作品を出のだから、全編にわたってとか、それほど極端に読み間違いが起こることはないとおもうけど。もっとも、もともと人の目は結構優秀で、自分の好きな俳優にピントを絞ってみているつもりでも、被写界深度が深い写真のように視界(人間の視界は、個人差もあるが片目で約160度程度、両目だと200度)の端から端までの情報が入ってきているんだそうだよ。自覚していないだけで、隣の人や、舞台装置以外のところも結構見えていることになるよね。だから好きな俳優ばっかり見てたようでも、なんとなく話が途切れたりはしないんだって。居眠りしてしまったとき(まぶたを閉じて視界をさえぎってしまったとき)のように、全くわけがわからないって事にはならない。同じことは耳でも行われていて、聞く音と聞かない音を常に選びながら「聴いている」。耳はまぶたの様なふたがないから、コレを生きている間中続けている。そのために聴覚機能は老化が早いって言うよね。自覚なく受け入れている情報群については、うまく掴んで説明することは出来ないから、雰囲気とか空気感って表現されるんだと思うよ。脱線して大変失礼。この余所見を少なくして、物語の意図を多くの人に伝える方法としては、映像作品のほうが有効って話をしたかっただけ