フジテレビ火曜9時ドラマ『アタシんちの男子』を楽しみましょう!!
ドラマは感動のうちに幕を閉じましたが、まだまだ『アタ男』熱は冷めません。
終了したドラマなのでネタバレ含みます。ご承知おきください
『アタシんちの男子』をこれから見る方、ストーリー、次回予告、登場人物をお探しの方は、
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再び、ひとつ屋根の下の物語

9話では、名言連発の風

風「強くならねえとな。ここは居心地がよすぎるんだよ。だからつい甘えちまう。けど、どの家族だって、ずっと一緒にいられるわけじゃねえ。出るほうも、見送るほうも、強くならないとな」

このせりふ、どきっとしました
9話単体にかけると、猛の旅立ちを指しているように聞こえますが、この言葉を物語の全体にかけると、この物語のエンディングを指しているのかもしれないと思いました。

そんなことを思っていたら、10話

風「俺たちがここを出て行くときは、自分たちの意志でそう決めたときだ。」

その時がくることを予兆しているような、真剣な響きのある言葉に、いやな予感がしました。

そして、次回予告

鞄を手に、別れを告げる兄弟たち。一人残る千里。


来るんですね、ついに
納得できる結末を用意してくれていると信じていますが、やっぱり淋しいです

9話と10話の間に作った記事なので、没にしようかと思いましたが、ちょっと手を入れて見ました
最終回より前に、妄想は出し切りたいと思います(←メイワク)

今回、長い&硬い&クサイです
お時間があったら読んでみてください



ひとつ屋根の下の物語

以前もちょっと書きましたが、最終話を残す現段階までを振り返ってみると、『アタシんちの男子』は、「ひとつ屋根の下のユートピア的共同生活・擬似家族物語」の王道を行く物語でした。

「一つ屋根の下のユートピア的共同生活・擬似家族物語」、長いので「ひとつ屋根の下の物語」とさせてください。某ドラマではありませんよ(笑)。
若者が主人公の群像劇としての「ひとつ屋根の下の物語」は、登場人物の成長を描くのにすごくいい素材だと思います。

■起点
共同生活を構成する登場人物は「孤独」を抱えている。閉じている状態。自分を否定している状態にあります
物語の起点として、
①主人公がいる家に多くの人がやってくるパターン
②個性的な面々の暮らす家に、主人公がやってくるパターン。
『アタ男』、『花君』は②です
■変化=開放=成長
物語が進む中で、孤独な登場人物たちは、主人公が「家」にやってきたことをきっかけに、家族内の衝突、各々の抱える問題、トラブル、悩みなどのさまざまな問題に直面しながら、誰かの中に認められ、誰かに支えられることで、自分を認め、自分を獲得していきます。孤独でなくなる。開いた状態になります
『アタ男』では

  • 風は新造に疎まれていなかったことを知る
  • 猛は一輝と新造が自分のために憎まれ役を買って出たことを知る
  • 翔は新造がひそかに自分を援助していてくれたことを知る(兄弟や千里が自分を見守っていてくれたことを知る)。
  • 優は千里の励ましで自分のコンプレックスと向き合う努力を始める
  • 智は千里の励ましで自分の縮こまっていた心を広げていく努力を始める
  • 明は家族の自分に注がれる愛情を感じることで心を開いていく
  • 千里も兄弟の問題に関わることで、家族の意味を考え始める(新造、徹、志保の愛情を理解することが出来るようになる)

などにあたる心の流れです。

この「開放」は「成長」と捉えていいと思います。

ひとつの小さなきっかけを与えたのは千里でした。
彼女のいつも「心を尽くすこと」「人との関わりで本気になること」が鍵になって、兄弟の心の扉のロックが外れた。
でも、扉を開けて一歩踏み出したのは兄弟自身。自分の力で成長しているんですよね。

千里にきっかけを与えたのは、そんな兄弟たちでした。
家族の問題に取り組むうちに、ひとりで生きてきた千里が、一緒に笑ったり泣いたりする幸せを感じれれるようになりました。自分のしたことで、笑ってもらえたリ、頑張ってもらえたりする、受け取ってもらえる幸せ。
千里は逆境に折れることなくパワフルに走り続けてきました。「全力+おせっかい」で一見、閉じているようには見えないですよね。でも四方八方に放出するパワーは「→」アローヘッドがひとつの矢印でした。千里の「孤独」はこれだと思います。(頼らない。甘えない。ってのもあるかな)
大蔵家に来て、一億円チャラの条件で家族に関わっていく事になった千里は、いつもと同じく「→」パワーを繰り出します。すると、兄弟から返ってくる反応「←」に気がつきます。この反応は、兄弟が悩んだり苦しんだ末に返ってきた、感謝や承認の矢印なんです。そのことに喜びを感じるようになった(回路が開けた)千里にとって、一方通行「→」「←」のラリーが、双方向「⇔」ひとつのセットで幸せを形作るもの(=家族)になっていったんだと思います。
これが千里の変化。それぞれの兄弟の物語が続き、主人公・千里の影が薄いなーと感じていましたが、こういう心情のスパイラルを積み重ねていった過程だと考えれば納得の構成です。
■人 心 絆
この小さなきっかけから始まった人との関わりが、誰かを必要だと思うようになり、「あなたが必要だ」といわれるまでになります。
それは決して恋愛に限ったことではないと思うけど、『アタシんちの男子』ではときどき恋愛感情として発現していますね。
物語のカギ「心を尽くすこと」「人との関わりで本気になること」って、言いかえれば、結局人を幸せにするのは、いつも「人」、言いかえれば「心」ってことなんですね。
「人」を「人」として存在させるのも、「人」を幸せにするのも、―――「人」の「心」
千里や兄弟のように本気でぶつかって、「人」の「心」を動かしたり、動かされたりすることなのではないのかなと思います。

かけがえのない「居場所(家族)」って、そうして手に入れるものなのではないのかな
で、それは、他人同士だって、十分実現可能なのではないのかな。

大切なのは、「家(場所)」ではなく「絆」ということ
幸せの価値も基準も、人によって違うかもしれないけど、結局、人を幸せにするのは、いつも「人」なんですね。
家 いるだけの場所から、居場所へ、そして帰るべき場所へ 
そんな関わりの中で、「トリックハート城」という場所は、各々がバラバラだった「逃げ場」から、一緒にいる「居場所(家族)」に変わっていきました。
この自覚が行き渡った時、物語は終息へ向かうのは、悲しいけれど常道

第10話では、千里と兄弟がお互いを大切な存在だと自覚し、みんなが一緒にいられる「家=トリックハート城」が大切な場所だと自覚し、大きく結束ました。
この収斂は強ければ強いほど、絆が強ければ強いほど、次に待っているのは成長=別離。みんなが大人になって旅立って行くのは必然なんですね。

「ひとつ屋根の下の物語」の終わり。楽園の終焉
これは壊れるって言う物騒な意味ではなくて、「家」が、大切な誰かと集う「帰るべき場所」へと認識できるようになったからこそ、起こる変化だと思います。
「居場所」から、「帰るべき場所」へ
どこにいても家族と思える。そこに集まる人の「絆」が変わったんですね。

「帰る」と言う表現が出る以上、物語の終点には誰かの旅立ちがあるのは避けられないことです

■終点
①主人公が残り、同居人たちが旅立つ
②家長が残り、子的立場の人たちが旅立つ
③みんなが残り、主人公が旅立つ
④主人公以外の1人が旅立つ
⑤複数人が残り、複数人が旅立つ
『花君』は③、予告編を見る限り、『アタ男』は①ですね



アタシんちの男子』にが、どんな結末が訪れるのでしょうか

番組開始当初、キャストたちが番宣やインタビューで、『この物語は骨太の物語なんです』って言う言葉を何度も聴いた記憶があります。
そのときは、「またまた〜。番宣だからって言いすぎだよ」と思っていました。ドラマが始まってしばらくしてもそんな気持ちは残っていました。
でも、本当に一匙ずつ丁寧に味を調えるように物語の中に組み込まれた「家族」というキーワードは、いつの間にか見ているわたしたちの心の中に染みとおっていました。

そして最後に、この他人ばかりの家族は問いかけてくる―――
アタシんちの男子』が獲得した「家族」。わたしたちは本当に、それを手に入れているのかな?
っていうメッセージが残されるのかもな
って、いいすぎか(笑)




余談ですが、10話放送前までは、いろんなラストを考えていました
すごいベタだけど、ひとつの可能性として、
めぞん一刻』のラスト。響子さんが生まれた娘を連れて帰ってきて、「春香ちゃん、おうちに帰って来たのよ。 ここはね・・・、パパとママが初めて出会った場所なの…」そばには五代や一刻館の住人達。これを千里、翔、大蔵兄弟に読み替えたりしてみ?
またはいつもと変わらぬリビングの光景。時間が来て、じゃあなと帰っていく兄弟。見送る千里と翔とかさ。うーん、ベタ
はたまた、みんな出て行ったはずなのにトリックハート城に入り浸り、ケンカ&ドタバタ。「これじゃいままでといっしょじゃん!」と叫ぶ千里。・・・ベタ(笑)