フジテレビ火曜9時ドラマ『アタシんちの男子』を楽しみましょう!!
ドラマは感動のうちに幕を閉じましたが、まだまだ『アタ男』熱は冷めません。
終了したドラマなのでネタバレ含みます。ご承知おきください
『アタシんちの男子』をこれから見る方、ストーリー、次回予告、登場人物をお探しの方は、
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息を合わせる

昨日『その街のこども』のエントリーを上げました
アタシんちの男子』でいつも来ていただいていている方には、申し訳ありませんでした
昨日あたりから、どこが引っかかったのか、検索ワードがちょっとイレギュラーな動きをしてまして、びっくりしました
検索で訪問した先の記事が空振りだった時って、寂しいもんだし、自分にもすごく響いたドラマだったので、記事を上げました


で、帳尻あわせではないけど、『アタ男』ブログに乗せたってことで、『その街』と『アタ男』共通点を考えてみたいと思います
書きっぱなしのメール投稿なので、おかしいところあると思います
ごめんなさい
長くてめんどくさい話なので、興味ある方はぞうぞ




その街のこどもたち』と『アタシんちの男子


このタイプのまったく違う二本のドラマに共通していたもの
それは、「呼吸」だとわたしは考えています
この二本は、とても呼吸を大切にしているドラマでした
ちょっと強引な展開もあるのはご容赦くださいね(笑)


単発ドラマである『この街』は、一緒にその場にんるようなハンディカメラの扱いと、長回しとで、俳優の呼吸までをも捕らえ、視聴者に見せてくれました
視聴者の気持ちを物語に沿わせるのに長回しが有効なことは、『アタ男』好きな方には、11話の「出て行く兄弟にありがとうと言う千里」のシーンを思い出していただいたらわかりやすいと思います
あのシーンで、見ている人が、千里の気持ちに寄り添えた理由の1つに、ワンカットで千里の言葉がつながっていて、その息遣いまでも感じれらたからってことがあげられるとおもいます
8話のバルコニーでの「しょうがなかったんじゃないかな」とか、9話の「行かないで」のシーンなんかも同じですよね
見ている人の気持ちを引き込むのには、呼吸ってものすごく大事なんです。もちろん演者にとっても


『アタ男』の場合、そんなに極端な長回しのシーンはありませんでしたが、カットの細かいテンポあるシーンとの対比で、ゆったりしたシーンが有効に機能していたと思います
「息詰まる」「手に汗握る」って程の極端な展開はないにしても、「アタ男」は、毎回、トラブルが発生し、ドタバタが繰り広げられていました
このトラブル、ドタバタを印象付けるのが、速い切り替えし、テンポになります
つまり、細かく刻むカット(=呼吸)を積み重ねて、物語を進めていたってことです。
そして、その後に、毎話、千里が家族を考える言葉や、家族を励ます言葉、時には、新造の回想シーンのようにゆったりとしたシーンが、印象的に配置されていました
実はこれも、呼吸をコントロールしているから、印象に残るんですよね
「運動と深呼吸」「速歩と休憩」などをイメージしてもらえると、わかりやすいかと思います
詰まっていた息をほっとついたときの気持ちよさ。緊張からの開放。身体的に「快」の状態。開いている状態。弛緩している状態
そういう時って、素直に物事を受け入れられる状態なんですね
なので、この緩急(の呼吸)をコントロールすることで、わずかなゆったりとしたシーンが、実際に「時計で規則できる(リアルな)時間」以上に、長い滞空時間を持ったシーンのように、印象深く、心に残っていくんです


前にも書いたことがあると思いますが、「息(呼吸)を合わせる」ってことは、人と人とが親しくなる基本みたいなところがあります

この、息をあわせるタイミング、恐怖心を鍵にすれば「吊橋効果」です。
恋ではなくても、一緒にドキドキすることで、連帯感が生まれる有名な仕組みですよね
隣の人がはっと息を呑むのに一緒につられるうちに、呼吸が合ってくるんです
恐怖映画やサスペンス映画の、「はっ」と息を呑むブレス音とか、これを極端な形で使っていますよね
ほんとに単純な話をすれば、
息を詰める⇒呼吸が止まる⇒酸欠⇒動悸が早まる⇒開放⇒酸素補給⇒機能回復⇒安堵⇒快
という、色気がない仕組みが吊橋効果での「ドキドキして恋に落ちる」の正体ですよね
恐慌状態から開放された時の快、この落差が、恋の肝なんじゃないかとおもいます(←何の話だ)
ドラマの中にある、いさかい、トラブル、パニックなど、「次はどうなるの?」と気持ちが急いている状態が、「ドキドキ」に当たると思います
『その街』では、中盤の居酒屋でのケンカからいったんバラバラになる2人に、内に秘めたままの震災への思いがどう決着して行くんだろうって、ハラハラしたあたりでしょうか(まだリピしてないので、なんとなくの表現ですみません)
『アタ男』では、終盤で、兄弟がぶつかる問題がだんだん大きくなり、「ドキドキ」も増加、いつの間にかすっかりドラマに夢中になって、大蔵家とともに泣き笑いするようになってしまいました。
話の続きがまがもっともっと見たいって気持ち、恋におちてるみたいなもんですよね


他にもこんなことが考えられます

  • 日常で体感できるリズムでも、呼吸は寄り添ってきます。『アタ男』では、「走る千里」、『その街』では「歩く2人」。「走る」「歩く」という、視聴者の体がよく知っている動きでも、呼吸は合わせられるんですね。この場合は、呼吸が釣られるある程度の時間的長さが必要になります。1話の千里の逃亡や、9話の猛を追う千里なんかがそれですね
  • 一緒に泣き、一緒に笑うって言うのも「共感」という意味合いで、「息が合う」きっかけになります。平板なドラマよりも、感動ポイントが多いドラマのほうが、はまってしまう理由はそこですね
  • そして、お約束、天丼による、視聴者との共犯関係の構築。「そうだよね」「それ来ると思った」って言う、連続ドラマに有効な手法。「慣れる」ってことも、息が合ってきたという、1つの形です


アタシんちの男子」は、とても呼吸を大事にしていたドラマだと思います
もしくは、「わたしに合う息遣いを持った」ドラマでした
本編放送中、特に7話以降、「翻弄されてまーす」と叫んでいたのはそういうことです
みんなで家族になる、お互いを思い合うというテーマが、わたしたちを巻き込んでいったからだと思います
私たちも、家族の1人になれたような気がしたから、気持ちよく楽しめたんですね
その街のこども」は、最小限のキャストだったので、「呼吸=生きている人間」という、生死に関わるテーマ、演出をシンプルに伝えることに長けていたドラマでした
その上、リアルとフィクションの境界の曖昧さまでもが、よけい私たちをひきつけたんだと思います
あの二人の隣で、震災の子供を考える気持ちで、そこにたたずんでいるような思いがしました


呼吸をコントロールするのは、お金も道具も要らない、基本的な演出だし、演者の立ち居振る舞いの基本的なことです
セリフを何も言っていないときでさえ、息を吐くか、吸うか、止めるかで、俳優の動きは全く変わってしまいます
でも、このシンプルな方法をきちんと生かせる座組みって言うのは、すごく贅沢だし、なかなか稀有なことだと思います
そのドラマに流れる呼吸を作るのは、俳優の演技につける演出だけでなく、カメラワーク、音楽、効果音、色調、セットの立て込みの乱雑or簡潔さ、スタジオとロケ、光線と照明、いろんな要素が響き合って生まれて来るんだと思います
ほとんどそれれは、計算しつくされた方法で行われているものではなく、現場での、肌触りや経験で行われていることなんでしょうね


大勢の人が同じ呼吸ができるドラマがヒット作といわれるんじゃないかと思います
残念ながら、視聴率が伴わなかった『アタ男』でしたが、見てさえもらえたら、この呼吸を操られる「翻弄される心地よさ」を体感してもらえると思うんですけどね


その街のこども』も、視聴率的には振るいませんでしたが、「このドラマを見て欲しい」というブログをたくさん読みました
こんなところも、「アタ男」に似てますね


しかし、強引な話してますね
考察すると、いつも、「とにかく見て欲しい!」って結論になっちゃうのは、毎度のことか(笑)